団地生活をするようになって栽培が安定し、ニオイエビネなどを求めて花の時期に超強行軍のエビネツアーに出かけていきましたが、交配に適するよい形質を持つニオイエビネはなかなか入手できません。たまに見つかっても若い勤め人が買えるような値段ではありませんでした。
サツマなどは増殖がよいので交渉すればいくらか安くしてくれる感じでしたが、ニオイエビネは大株が少なく、中小株では良し悪しがわかりにくく、また増殖が悪いためか小苗などの売り物も少なかったです。銘品が必ずしも優れているとも思えず、しかしそれらをターゲットにしているオタク的な方もおられました。結局、趣味の会などで無名の良品といわれる小苗を運よく?入手するのが精一杯でした。
また、当時はニオイエビネよりむしろ色彩のバラエティがあるコオズの方に人気があったようで、現在はニオイエビネ といわれている品種がこの当時はコオズとして扱われていたものもあります。御蔵島の生産者とつながりがあったという八丈島の園芸業者からも御蔵島産ニオイエビネを買い入れ、今もいくらか残っています(ハモグリバエがついていて大変な目にあったりしました)。
1980年代はまだニオイエビネの無菌播種技術が普及しておらず、この頃入手したニオイエビネは自然種だったと思っています。
そのころ入手したニオイエビネ微紫弁白舌花(80-04)。中苗画像で舌はもっと大きくなります。
しかし自生が急速に失われていった時代、また大きなブームで沸き返る中、ウイルス病が急速に蔓延し、熱狂ブームも下火になっていきました。ウイルス病については学生時代にある程度の知識や現物を見ていたので、エビネの販売会や業者のところでウイルス株が売られているのを嫌悪感を持って見ていましたが、到底その場で言い出せるものではありませんでした。また、花時より展葉後の6月頃の方が新葉の症状がわかりやすかったり、花時に症状の出た古葉を切って売り抜けてしまうこともあったのではと思います。こんなことをしていて新しいファンがついてくるわけがありません。
やがて、自生地からは新たな品種が出てこなくなり、一方でウイルス知識が普及し、罹病の心配が少ない交配育種の時代に入っていったのは必然的な流れであったと思います。私もよく訪問させていただいた四国のN園さんはその先駆者としてずいぶん貢献されてきたと思っています。四国には早くからニオイエビネに着目して集めておられた業者もあって、エビネツアーのターゲットにしていましたが、いいなと思うような株は当然高価でバック苗の入手も難しいものでした。