大学の卒業を目前にしたある日、実家のある大阪に帰って、梅田にあった園芸ショップに立ち寄ると「神津島山取りニオイエビネ」と書かれた苗がいくつかあり、初めて売り物のニオイエビネを発見したのでした(この株は後年開花し、ニオイエビネの血が濃いコオズと思われます:下の画像)。学生にとってはかなり高価だったように思いますが思い切って1株買って帰りました。
まもなく就職して新たな暮らしが始まり、寮のベランダでこの株を育てはじめましたが、しばらくして新葉がどんどん黒変したので切り取ってしまいました。枯死は免れたものの全くの作り直しになりました。
九死に一生を得たこの株は、40年近くもの年月を経て今も手元にあり、毎年花を咲かせてくれています。当初に比べて色調が少し変化したように思います。この間、交配親に使ったり、株分けして差し上げたりして、ずいぶん活躍してくれました。
神津島産ニオイエビネ?(79-01)
ニオイエビネの血が濃いコオズと思われます
2人部屋の寮生活から数ヶ月後に、今度は雨漏りのひどいアパートに引っ越して、窓際で少数のエビネ、カンラン、シュンランなどを育てるようになりました。案外よくできたのは不思議でしたが最低限の環境は整っていたのだと思います。
やがて結婚して団地暮らしになり、いち早く日照の少ない北のベランダを占拠し、波板で風よけをして栽培しました。カミさんは特に何も言いませんでしたが、いったいどう思っていたのでしょうかねえ?
このころエビネのことを詳しく書いた本、進藤藤義著「日本のえびね」(1981八坂書房)を読みました。細かい活字がびっしりの本で、趣味的な本とは一線を画し、エビネへの熱い情熱、心血を注がれた思いが凝縮されている本です。刊行されて35年以上になり、今日では若干疑問のある記述もあるようですが、当時としては貴重な本で大変参考にさせていただいた本でした。 感謝しております。
進藤藤義著「日本のえびね」
栽培もだいぶ軌道に乗り、株数も増え、学生時代に習得した無菌播種の技術を忘れないようにと交配・播種をするようになりましたが、設備もなく、閉め切った風呂場や収納箱、圧力釜を活用するくらいなので、どうしてもコンタミが出やすかったです。しかし苗は少しでしたがなんとかできました 。
しかし、せっかく交配するのなら目標を決めて良い親を入手したいと思うのは当たり前で、ニオイエビネの優良株が手に入らないものかとあれこれ情報集めをしていました。情報が得られにくかった時代、花時にあちこち歩きまわることが一番生々しく、ためになりました。