エビネ栽培を始めたのは、記録には残っていませんが、1976年春に高知の日曜市で買ったキエビネが始まりだったと思います。もともと植物(特に花き園芸)に興味があり、当時はエビネブームが広がっている最中で、試しに買ったようなことだったと思います。
学生時代、花き園芸を勉強し、先生がラン、植物繁殖の専門で興味を持つようになり、交配、無菌播種技術などはその時に習得したままあまり進歩もせず、今もその技術でやっています。
社会人になって、寮に住みながらエビネや寒蘭の栽培を始めましたが環境がひどく、友人とアパートに移り住んで出窓やベランダを利用して栽培し、案外うまく育っていたように思います。
やがて結婚し、団地のベランダの北側で風よけなどをしながら栽培していましたが、このころの厳しい環境下でのコントロール、体感がその後の栽培に大いに役立ったように思います。
やがてせっかく習得した無菌播種の技術を生かさないのはもったいないと考え、交配をすることを思い立ったように思います。
世はエビネブームで大変な高値が付き、安月給の身では手が出ず、展示会、即売などで無銘の気に入った株を探し出して買うのが精いっぱいでした。それらをもとに交配を始めていきました。
学生時代から実験データをいかに効率よく整理、管理するかを指導されていたので、交配の組み合わせや、その親の入手由来などを書きとめていたのが後になって大いに役立ちました。
当時入手の品種は無銘のものが多く、品種登録帳に記録して保管し、交配は年ごとに両親の組合わせ、交配日、播種日などを一覧表にしていました。株の増殖記録などの栽培記録もつけていました。
品種登録帳:原始記録をもとに再整備したもの.(左ページは原始記録の裏面)
エビネに関する雑多な資料も増えていったので、1990年、今の地に引っ越ししたころにそれらの資料をいったん再整理したのがよかったと思います。交配記録に基づいてその開花結果をA~E5段階のランク別に評価していましたが、ほとんどがCランク以下でなかなかめぼしい成果は出ませんでした。
年月は経って、2005年秋、自宅、エビネ小屋も含めて火災で焼失し、エビネ栽培どころではなく生活の再建が喫緊の課題となりました。多くのエビネも焼失し、いくらか残ったバルブと別の場所で栽培していたニオイ、小苗の一部だけが残りました。
多くのエビネ資料で品種登録関係は別棟倉庫の本箱にあったため難を逃れましたが、交配関係や栽培関係資料は水浸し、泥砂まみれとなり、天日干ししてやっと判読できる?ような状態でした。
しかし、不完全ながらも記録が残ったことは救いでした。
そして、それらによってエビネ栽培の継続、交配の再開につながっていったように思います。
(2026.5.30 古い品種登録帳を久々に見た際に追記しました)